初PVの制作費が3億円……突然、大人たちから向けられた「期待」
ーー真希さんの後を追うように、中学2年生でEE JUMPとしてデビューされます。真希さん加入後に茨城で開催された初ライブを家族で観に行ったら、そこにいたモーニング娘。の元マネージャーでハーモニープロモーションの社長を務める和田薫さんに見初められたという。 後藤 僕ら家族のすぐ後ろに座っていたらしいです。それで姉ちゃんから和田さんが僕と会って話がしたいそうだと教えてくれて、母からも「話だけでも聞いてみたら」と背中を押されて会ったんです。 ーー和田社長は後藤さんのどこにビビっときたのか仰っていましたか。 後藤 当時はジャニーズさんはもちろん、w-inds.さんもいたじゃないですか、それこそ木村拓哉さんは昔から凄かったし。 和田さんいわく、「彼らを超えるような存在だと思って、俺はお前を頑張って売り出していきたいんだ」みたいな感じのことを言ってくれてたことがあったんです。これ、自分で話すのがメチャクチャ恥ずかしいんですけど……(笑)。 ーー和田社長に会って、1999年の11月からユニットを組む前提でレッスンを受けるようになります。その頃は、学校には通ってたのですか? 後藤 行ってなかったです。毎日の授業参観が1年生の全クラスで続いたときに、僕は授業中にゲームボーイをやっていたんですよ。 それを校長先生に取り上げられたのに逆上して殴ってしまって、「謝らないなら、もう学校に来なくてもいい」と言われたけど謝らず、学校に行くのをやめてしまったんです。 ーーこういう言い方は悪いかもしれませんが、学校では問題児で大人からはまったく期待されていなかった。でも、芸能界に入るや大人から期待されるようになった。レッスンを1年近く受けて、2000年10月にリリースされたファーストシングル「LOVE IS ENERGY!」は作詞・作曲がつんく♂さんで、そのPVの制作費が3億円という。大きな期待とそれに比例した破格の待遇というのは、どういった思いで受け止めていたでしょう? 後藤 やっぱり、ものすごいプレッシャーを感じていました。3枚目のシングル「おっととっと夏だぜ!」(2001年5月16日発売)の時に、和田さんからオリコンチャート10位以内に入らなければ解散か丸坊主にするからみたいなことを言われていたんですよ。 そういうのが少なくなかったので、追い込まれていたところはありますね。それに、とにかく忙しくて、下手したら寝ずに3日間働いたんじゃないかってこともあったし。 あと、「おっととっと夏だぜ!」を含めてEE JUMPの曲はすべてつんく♂さんに作詞・作曲していただいたのですが、当時の僕はX JAPANとかDIR EN GREYが大好きだったので、どうしても曲調や世界観が馴染めなかったんですよ。そういった葛藤も、けっこう自分の中では渦巻いていましたね。 いまではどの曲も思い出深いし、大事な存在ですけど。
「悪い仲間とつるんでしまって、自然と…」銅線窃盗で逮捕の元EE JUMP祐樹(35)に、姉・ゴマキがかけた「言葉」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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