
描かれたのは「観念」でみつめた自然
郭煕と同時代に文人・画家として活躍した蘇軾(そしょく)の言葉に、「画を論ずるに形似をもってするは、見児童と隣る (画を論じて形にこだわるのは、子どもの見方と大差ない)」というものがあります。 この言葉からは、中国の絵画が、そもそも「見えた通りに自然の形を再現すること」を目指していなかったことが伺えます。 また、郭煕は「みつめる」ということについて、次のように述べています。 『「自然を理解する最良の方法は、自らこの山に遊んで観察することである。そうすれば山水の姿がありありと胸中に展開する」 』 郭煕は、「早春図」を描くにあたり、実際に山々に足を運びました。しかし、見えたままの自然をスケッチして描き写すようなことは決してありませんでした。 その代わり、「水とはどのようなものなのか?」や「木とは、岩とは……?」と、自然の摂理について、自己の胸の中で思いを巡らせることによって、その真理を追究しようとしたのです。 そうしてつかんだ自然の真髄(しんずい)を、1枚の絵の中に再構成しました。 つまり、「早春図」に描かれている山々や樹木は、「特定の場所に実存したもの」ではありません。 郭煕が胸の中でつくりあげた「観念」を通して自然をみつめ、その摂理を表現した絵だったのです。
中国の画家が描いた「自然の風景画」 その風景が実在しない理由(bizble) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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