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Saturday, July 30, 2022

【歴史まち歩き】丘の谷間に凝縮された自然・史跡と生活空間「師岡地区」 - 横浜日吉新聞

今回は師岡の丘と丘の谷間に凝縮された自然や歴史ある古刹を巡ります。区の歴史や文化、現在の見どころを歩く連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」の第15回(最終回)「師岡地区」です。

港北区内を12の地区に分け、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きを紹介するというコンセプトの本連載の執筆は、歴史エッセーわがまち港北2(2014年5月)とわがまち港北3(2020年11月)の共同執筆者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)が担当。

15回目となる今回は最終回として師岡町の見どころを紹介します。

)特記のない限り、本連載の写真は筆者・林宏美さんによる撮影です
)本連載は「横浜日吉新聞」と「新横浜新聞~しんよこ新聞」の共通記事です

いよいよ残る地区は「師岡」

師岡町の位置図、大倉山駅の周辺から鶴見区との区境まで広がる(港北区観光協会「港北区ウォーキングマップ第3弾」を一部加工)

7月も後半となり、毎日暑い日が続いています。電気代の高騰を気にしつつもエアコンなしではいられない筆者です。6月27日、統計開始以来最も早い梅雨明けが気象庁から発表されたのが遠い昔のようです。

さて、今回で15回目となるこの連載、いよいよ残る地区はあと1つとなりました。最後は師岡地区です。熱中症と脱水に注意しながら散策しましょう。

資料に残る横浜で最古の地名

師岡(もろおか)の地名は、諸々(もろもろ=多くの・さまざま)の丘が並ぶ地形に由来するといわれており、古くは「諸岡」と表記しました。今から約1100年前に成立した百科事典『和名類聚抄』に「諸岡」の文字で記載があります。

また、奈良県高市郡明日香村の石神遺跡では「諸岡五十戸」と記された7世紀後半の木簡が発見されており、横浜では資料に残る最も古い地名とされています。

今もどこか昔ながらの風景が残る(師岡町内)

長い歴史を持つ師岡地区の概要については、シリーズわがまち港北第223回「師岡地区~地域の成り立ち、その13」も合わせてご覧下さい。

大倉山駅から「師岡熊野神社」へ

今回は東急東横線大倉山駅からスタートしていきます。

大倉山レモンロード商店街を区役所方面に歩き、綱島街道の大倉山交差点を左折して綱島方面に進みます。

綱島街道「熊野神社入口」の信号付近、綱島街道を横断して中央の道を進む、やや右寄りに師岡熊野神社の石碑(2022年7月9日)

師岡熊野神社の石碑、その左の道を進み、神社を目指す(2022年7月9日)

熊野神社入口の信号まで行くと、東側に「師岡熊野神社」の石碑が建っています。石碑の案内に従い、横浜北部の総鎮守「師岡熊野神社」へ行ってみましょう。

熊野神社となりの「法華寺」

師岡熊野神社へ向かって歩いていると、その手前に師岡熊野神社の別当寺としてとともに歴史を刻んできた「法華寺」があります。

法華寺の山門(2022年6月13日)

法華寺本堂(2022年6月13日)

別当寺とは、江戸時代まで神社の祭祀や管理経営を担ってきたお寺で、両者は不可分の関係でしたが、 1868(明治元)年の神仏分離令によって、別当寺は神社と分かれて独立しました。

法華寺は天台宗寺院で東京都調布市にある深大寺の末寺で、885(仁和元)年の創建と伝えられる古刹です。

かつては師岡周辺に17の僧坊(僧が起居する寺院内の家屋)を抱え、隆盛を誇りました。

地域の史跡名勝「いの池」へ

法華寺を出ると師岡熊野神社はもう目と鼻の先ですが、神社と道を挟んで向かい側にある「いの池」へ先に寄っておきましょう。

いの池、中央には弁財天様が祀られている(2022年6月13日)

「いの池」は、池の形が「い」の文字に似ていることから「いの池」と呼ばれており、1988(昭和63)年に地域史跡名勝天然記念物に指定されています。筆者は向かって左側の池の岩場にいる亀の姿に癒しを感じます。

いの池の岩場の上には亀の姿(2022年6月13日)

中央には弁天社があり、筆者の来訪時も手を合わせる人の姿がありました。弁天社は2011(平成23)年の東日本大震災の時に屋根が崩落し、修復工事を行いました。

9年前に撮影した弁天社、屋根はまだ真新しさが残る(2013年9月30日)

いの池には亀ではなく、片目の鯉の伝承があり、シリーズわがまち港北第121回「門松と鎌倉権五郎景政と『港北百話』」や、大好き!大倉山の第4回「熊野の神様と“いの池”の片目鯉~むかし話、その1」(『わがまち港北3』、220・221頁)で紹介しています。

港北昔ばなし紙芝居」にも片目鯉を題材にした作品がありますので、港北映像ライブラリでぜひご覧ください。

まもなく創立1300年の師岡熊野神社

それではいの池と道を挟んで向かい側、神社の鳥居をくぐって石段を上り、神社を参拝しましょう。

鳥居をくぐった先には2024年の創建1300年を伝える横断幕、この日は石段を挟んで笹飾りが並んでいた(2022年7月4日)

師岡熊野神社の社殿(2022年1月31日)

師岡熊野神社は、724(神亀元)年に師岡一帯の土地を開いた全寿仙人が創立したとされ、関東の熊野信仰の拠点として栄えてきました。再来年2024(令和6)年には創立1300年を迎えます。

八咫烏の社紋が描かれた御神灯(2022年7月4日)

近年では、社紋である三つ足の八咫烏(やたがらす)が、日本サッカー協会のシンボルと同じであることや、2002(平成14)年に開催された「FIFAワールドカップ(日韓W杯)」の決勝戦の舞台にもなった日産スタジアムがある横浜北部の守り神であることから、“サッカー神社”としても知られています。

枯れも溢れもしない「のの池」

社殿の裏手には境内社と「のの池」があります。のの池も池の丸い形が「の」の字に似ていることから「のの池」と呼ばれるようになったといわれます。

のの池の石碑(2022年7月4日)

丸い形の「のの池」、「いの池」と「のの池」と今は大曽根第二公園となっている「ちの池」の3つを合わせて、昔は「い・の・ち」の池と呼ばれた(2022年7月4日)

のの池は熊野神社が出来た頃からあった池で、これまでに枯れたことも溢れたこともなく、650年程前に神社が落雷で出火した際には、「のの池」に御神体や宝物を入れたことで焼失を免れたと伝えられます。

1073回目を迎える「筒粥神事」

毎年1月14日に行われる「筒粥(つつがゆ)神事」は今年2022年で1073回を数え、この「のの池」の水と米、27本の葭(あし)の筒と師岡熊野神社のご神木である梛(なぎ)の葉を入れて粥を炊きます。

筒粥神事で粥の入った釜から葭の筒を取り出すところ(2016年1月14日)

筒粥では葭の筒に入った粥の量を見て、その年の作物や天候、世の中の吉凶など、筒の数と同じ27項目を占います。

今年の占いの結果は師岡熊野神社のホームページに掲載されていますのでご覧ください。今年も残り半分を過ぎました。占い通りの1年となりますでしょうか。

ちなみにシリーズわがまち港北の第1回は「師岡熊野神社の筒粥」でした。

熊野神社のさまざまな神事

7月の土用の丑の日には、胃病に験があるとされる「病災除け神事」が行われます(今年は7月23日)。

土用の丑の日といえば、夏の暑さに負けないよう鰻を食べて精をつける、そんなイメージが強いですが、こうした神事があることを筆者は初めて知りました。

毎年夏の例大祭では神輿や山車などで賑わっていたが、新型コロナウイルス禍の影響でこの数年はこうした光景は見られない(2018年8月、編集部)

神社の歴史や神事については師岡熊野神社のホームページで知ることが出来ます。

師岡熊野神社での滞在時間が大分長くなってしまいました。そろそろ先へ進みましょう。

横浜一のマンモス校!師岡小学校

師岡熊野神社からさらに東へ進んでいくと、師岡町と樽町の子どもたちが通う横浜市立「師岡小学校」があります。

師岡小学校の正門(2022年6月13日)

師岡小学校は横浜市内最多の児童数を誇るマンモス校で、2022年度の全校児童数は1286人となっています。

師岡小学校の創立50周年を伝える横断幕(2022年7月4日)

師岡小学校は、1970(昭和45)年9月に大曽根小学校の師岡分校として開校し、1972(昭和47)年4月に独立開校しました。今年はちょうど創立50年の記念の年です。

災害用の井戸を掘るプロジェクト

50周年記念事業の中で地域内外から注目を集めたのが、「師岡Water Project No.53」です。

「何か地域の役に立つことしたい」という子どもたちの思いから始まったこのプロジェクト、地域防災拠点にもなっている小学校の校内に災害用井戸をつくるというその企画内容とともに、資金調達方法の一つとしてクラウドファンディングを利用したことも話題となりました。

2022年6月14日に井戸の完成お披露目「感謝の会」が師岡小学校で開かれた(編集部)

5月には井戸の建設・掘削工事が行われ、6月14日には完成した井戸を披露する「感謝の会」が行われました。詳細は横浜日吉新聞で紹介していますのでご覧下さい。

目下、子どもたちの手に拠る50周年記念誌の制作も進んでいるようですので、そちらの方も楽しみです。

戦時の軍事施設「海軍省図書庫」

師岡小学校の開校に先立ち、大曽根小学校師岡分校が開校する前、師岡町の子どもたちは大綱小学校に通っていました。

大倉山4丁目にある大綱小学校(2019年6月)

そして戦後の一時期、大綱小学校の「師岡分教場」として使用されたのが師岡にあった「海軍省図書庫」です。

海軍省図書庫の建物は1945(昭和20)年7月に建てられ、終戦後の同年12月から1952(昭和27)年5月まで大綱小学校師岡分教場として使用されました。

大綱小学校社会科指導資料として編纂された『大綱今昔』には分教場の話や建物の写真が載っています。興味のある方は港北図書館で是非ご覧ください。

師岡には海軍省図書庫のほか、海軍施設本部の師岡事務所などもあったようですが、詳しいことはわかっていません。筆者にとっては長年の課題の1つです。

師岡沼上耕地公園と地名由来

さて、師岡小学校からさらに東へ進んでいくと、トレッサ横浜の北館の建物が見えてきます。そしてその手前にあるのが、「師岡沼上耕地公園」です。

トレッサ横浜北館の裏にある師岡沼上耕地公園(2022年7月4日)

ちなみに公園の名前は、この辺りの字である「沼上耕地」が由来ですが、字は「ぬまうえこうち」、公園名は「もろおかぬまかみこうちこうえん」と読み、若干異なります。

この読みの違いは、綱島上町の字「三歩野耕地(さんぶやこうち)」と早渕川に架かる「三歩野橋(さんぶのはし)」の例を思い出します。

沼上耕地はその名が示すように、かつては「沼」と呼ばれる水田地帯が広がっていましたが、昭和30年代から企業が進出し開発が進みました。今も多くの工場や倉庫があります。

「地域貢献大賞」のトレッサ横浜

師岡沼上耕地公園からすぐ目の前に見える「トレッサ横浜」に向かいましょう。

トレッサ横浜は環状2号線を挟んで北館と南館に分かれる(2022年7月4日)

トレッサ横浜はトヨタオートモールクリエイトが運営しているオートモール併設型ショッピングモールです。

オートモールは買い物ついでに車を見て、触れて、乗れるをコンセプトにした施設です。買い物の間に車のメンテナンスや点検を受けられたり、館内にはトヨタやダイハツの新車が展示されていたりします。

余談ですが、筆者は息子の誕生をきっかけに16年のペーパードライバー生活に終止符を打ちました。車に乗るようになると、車を見るのも楽しくなりましたが、買う気もなしにディーラーに行くのは少々気が引けます。ここでは気兼ねなく車を見ることが出来るのが嬉しいです。

元々トレッサ横浜があるこの場所には、1961(昭和31)年以来トヨタの物流拠点や工場がありました。現在も北館の裏手には、部品開発、特殊塗装、モータースポーツ開発などを事業とするトヨタカスタマイジング&ディベロップメントの本社があります。

トレッサ横浜の環状2号線沿い、「TRD(トヨタ・レーシング・デベロップメント)」マークの先、北棟の裏手側にトヨタカスタマイジング&ディベロップメントの本社・工場がある(2018年12月、編集部)

トヨタカスタマイジング&ディベロップメントは、もともとこの場所にあった「トヨタテクノクラフト」など3社が2018年に合併して現在の社名となった。社員数は1000人超で1000億円弱の売上規模を持つ港北区有数の企業(2018年12月、編集部)

「トレッサ」はフランス語で「喜びでワクワクする」という意味です。環状2号線を挟んて北館と南館の2棟があり、220店ものテナントが入っていて、筆者は中を歩いているだけでワクワクしっ放しです。

リヨンから取り寄せたライオンの像、店内ではリヨンの雰囲気を再現した装飾が各所に見られる(2022年7月4日)

中は横浜市と姉妹提携しているフランスのリヨンの市街地をイメージした空間となっていて、リヨンの食や文化を伝えるイベントも行われています。

館内には生涯学習や地域活動に利用できる「師岡コミュニティハウス」、一昨年2020(令和2)年に開設された「師岡トレッサ学童クラブ」などの地域関連施設も入っています。

トレッサ横浜は数々の地域イベント会場にもなってきた(2019年11月、編集部)

トレッサ横浜は地域社会とのつながりも大切にしており、地域での暮らしや子育て、防犯・防災に関わるイベントを、関係機関や町内会などと連携しながら定期的に開催したり、清掃活動などを協働で行ったりもしています。

2017(平成29)年には、地域社会への貢献活動が評価され、日本ショッピングセンター協会が主催する「第5回地域貢献大賞」を受賞しています。ショッピングモールとしてだけでなく、トレッサ横浜の地域協働の取り組みにも注目していきたいところです。

60年の幕を閉じた明治の研究所

トレッサ横浜の北館を出て、環状2号線を北へ曲がって進んでいくと、「明治ファルマ横浜研究所」だった建物があります。

Meiji Seikaファルマ横浜研究所、銘板などは既に外されている(2022年7月4日)

明治横浜研究所前のバス停、跡地の開発でバス停名が変更される前にぜひ撮影を(2022年7月4日)

過去形なのは既に閉鎖されているためです。同研究所は先述のトヨタと同じ1961(昭和36)年に開設されました。以来60年以上にわたって明治の薬品研究を担ってきましたが、今年2022年1月、その歴史に幕を下ろしました。

詳細は横浜日吉新聞で紹介していますので、記事をご覧ください。

みその公園「横溝屋敷」は鶴見区域

再び環状2号線に戻り、歩道橋を渡って南へ進んでいくと、トレッサ横浜南館の裏に「師岡沼上耕地第二公園」があります。

師岡沼上耕地第二公園はトレッサ横浜南館に隣接、花壇の花が美しい(2022年7月4日)

その角を西へ曲がり、四つ角まで進みます。その途中、鶴見区との区界にある師岡町のマンション名に「大倉山」が入っていたことに、少し違和感を覚えたのはここだけの話です。

みその公園「横溝屋敷」、写真左が主屋で右は蚕小屋(2022年7月9日)

四つ角を南西方面へ歩いていくと、みその公園「横溝屋敷」があります。横溝屋敷もぜひ紹介したいスポットですが、住所は鶴見区獅子ヶ谷になります。ここでの説明は省略しますが、散策の際はぜひお立ち寄りください。

鶴見大学が開設したグラウンド

横溝屋敷からさらに進んでいくと、左手に「鶴見大学師岡グラウンド」があります。

鶴見大学師岡グラウンド入口(2022年7月4日)

グラウンドは、鶴見大学とその附属校の授業や課外活動に利用されています。1975(昭和50)年に開設されましたが、それ以前は耕作地で、『わたしたちのまち樽・師岡』(師岡小学校10周年記念誌)によれば、蓮田(れんこん田)だったこともあるようです。

本堂が新しくなった「永昌寺」

鶴見大学師岡グラウンドのほぼ向かい側には、曹洞宗寺院の「永昌寺」があります。永昌寺は正式名を久寶山永昌寺といい、鶴見区馬場にある建功寺の末寺です。

永昌寺山門(2022年7月4日)

筆者は2013(平成25)年に、大倉山さんぽみち(シリーズわがまち港北第178回「『大倉山さんぽみち』を歩いてみよう!~その4・菊名駅~みそね公園」、書籍『わがまち港北2』では加筆あり)の調査で立ち寄って以来の永昌寺です。

何となくお寺の雰囲気が変わったような気がして以前の写真と見比べると、それもそのはず、本堂が新しくなっていました。2015(平成27)年に建て替えられたようです。

現在の永昌寺本堂(2022年7月4日)

建て替え前の永昌寺本堂(2013年9月30日)

永昌寺に来てみると9年前の来訪時にご住職が声を掛けて下さったことを思い出しました。その際、お寺の創建は約400年前で、江戸幕府5代将軍綱吉の時代に現在の場所へ移転したと伺ったように記憶しています。

最後は丘の自然を、師岡町公園

永昌寺を出てさらに南西へと進んでいきます。この辺りは住宅街ですが、その背後には緑が生い茂る小高い丘が続いています。この丘の景色が師岡の地名につながるのでしょう。

写真中央にある公園案内図は草に埋もれそう(2022年7月9日)

そんなことを思いつつ歩いていると、「師岡町公園」の東口を見つけました。公園の案内図が設置されているのが目印ですが、今にも草で埋もれてしまいそうです。

師岡町公園から東を臨む、木々の間から僅かに鶴見大学グラウンドの辺りが見える(2022年7月9日)

師岡町公園は東西に長い公園で、東側高台の地形と豊かな自然を生かした空間になっており、夏は虫取りや自然観察にも良さそうです。ただ、土や草、落ち葉で足を滑らせそうな場所もありますので、足元に気をつけて進みます。

高台の地形を生かした公園内には草木が生い茂る(2022年7月9日)

西側は整備された空間で、お手洗いや水飲み場がある幼児用遊具広場もあります。公園には西口もあり、西口を出て3~4分坂道を下ると環状2号線に出ます。

師岡町公園は広く、子ども向けの遊具も設置されている(2022年7月4日)

師岡町公園の西口付近(2022年7月4日)

蒸し暑さの中での散策でクタクタになってしまいました。このあたりで散策を終わりにして、環状2号線の南谷戸バス停から新横浜駅行きのバスに乗って帰路につきます。

丘と丘の谷間に発展した地域

歩いている途中で辺りを見渡すと、場所により近い遠いの差はあれど緑豊かな丘が必ず目に入り、師岡地区は丘と丘の谷間に発展した地域であることを改めて感じました。

師岡町内には少なくはなったが農地も残っている(2021年9月、編集部)

そして師岡地区は丘の自然、歴史ある古刹、住宅地やお店などの生活空間が地域の中にギュッと凝縮されている、そんな印象も抱きました。

今回は暑さに心折れて丘の下の散策が中心となりましたが、もう少し涼しくなったら、「諸々の丘」の自然の中も歩いてみたいと思います。

【連載の終わりに】今こそ、地域の魅力を伝えたい

大倉山公園梅林を散策する筆者(2022年2月、編集部)

2021年1月から始まった全15回にわたる本連載は今回で終了となります。原稿の執筆にあたっては、コロナ禍で不要な外出の自粛が求められる中、各地区を歩き回ってその内容を記事にするということに、否定的な感情を持つ方もおられるのではないかと悩む部分もありました。

しかし旅行やレジャーで遠出が叶わない今こそ、地域の魅力を伝える時だという想い、運動不足による体力低下を防ぎ、健康を維持するための散歩や運動は推奨されているということから、区内を散策して記事を書くという方針を貫きました。

1年半にわたる連載で巡った港北区内の13地域

最後までこの連載をお読み頂いた皆様には、心から御礼を申し上げます。各地区で生まれ育った方、長年住んでいらっしゃる方には物足りない部分もあったかも知れませんが、この連載が身近な場所に興味を持つきっかけになった方がいたならば、これほど嬉しいことはありません。さらにその場所へ実際に足を運んで下さったなんて日には、筆者は飛び上がって喜びたい気分です。

この連載の機会を与えて下さった地域インターネット新聞社にも、この場を借りて改めて感謝申し上げます。区内散策と原稿執筆によって得られた体験と知識は、自分にとって何物にも代えがたい財産となりました。また合わせてこの場で言い尽くせない程のご面倒と迷惑をお掛けしたことは、伏してお詫びいたします。

書籍「わがまち港北」は全3冊が刊行されている

どの地区にも紙面の都合で紹介しきれなかった魅力的な場所が数多く存在します。連載の中で書ききれなかった場所の多くは、既刊の『わがまち港北』(1巻~3巻)で紹介していますので、ぜひこちらもお読み下さい。

地域のお寺や神社、道端に置かれた石造物には思いもよらぬ歴史が隠されていることがあります。

また、特別な場所でなくても、近くの公園の花壇、町内会の掲示板、ツバメが巣を作った軒先、シャッターに貼られた開店・閉店情報、日々の生活の中で毎日通っている場所に、意外な興味の種があるかも知れません。

地域にはまだ気付かない風景も(師岡町内、編集部)

身近な場所や出来事、地域のちょっとした歴史、何か一つ関心を寄せてみるだけで、日常はより豊かで楽しいものになると筆者は思います。

夏の暑さが落ち着き、秋の足音が近づいて涼気が感じられるようになったら、ぜひ地域の魅力を探しに散策をしてみてはいかがでしょうか。(おわり)

【連載バックナンバー】

<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員、2021年4月から図書館運営部長(研究員兼任)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。2021年1月から2022年7月まで「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」を連載

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