国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みが広がる中、自然との共生を大切にするアイヌ文化に注目が集まっている。アイヌにルーツを持ち、アイヌ文化復興・発展の拠点となる北海道白老町の国立施設「民族共生象徴空間(愛称・ウポポイ)」のPRアンバサダーを務める俳優の宇梶剛士さん(60)に、アイヌ文化の魅力や自身との関わりなどについて語ってもらった。【聞き手・桐野耕一】
――宇梶さんの母親は「アイヌ復権運動の先駆者」として知られる静江さん(89)です。幼少期からアイヌ文化に親しんでいたのですか。
◆北海道出身の母は23歳で上京し、建築会社勤務の父と出会って結婚しました。子どもは僕と2歳年上の姉がいます。幼いころの食卓は、ほぼ毎日アイヌ料理のオハウ。野菜などを煮込んだ薄い塩味の汁物です。大人になった今は体にいい料理なのでおいしく感じるのですが、当時はテレビCMでよく見るカレーやハンバーグを食べたかった。「うちは貧乏なのでカレーとか食べることができないのかな」と思ったりしましたね。
アイヌ文化を感じたのは、「イチャルパ」というアイヌの先祖供養をするとき。日本式のお墓参りを済ませた後、河原に行って切った果物や米、酒などをささげました。「これはアイヌの先祖供養だよ」と言われ、よく分からないけど「アイヌなんだ」と思いました。小さいころは母によく集会や講演に連れて行かれて、登壇して話す母の姿を見て、「アイヌの代表みたいな人なのかな」と感じたことも覚えています。
叔父の影響でルーツに肯定感
――アイヌ文化は静江さんから教わったのですか。
◆母よりも、母の弟の浦川治造さん(84)から多くを学びました。叔父は上京後に土木会社を経営し、俳優を目指していた私は20代後半から数年間、叔父の会社で働きました。オーディションを受ける際に休みをくれるのでありがたかったのです。冬場の工事現場で火をまたいだり、川を汚したりすると叔父に怒られます。火や川にカムイ(神)がいるのだと、怒られながらアイヌの考え方を学んでいきました。
叔父は日ごろからアイヌの立派な刺しゅうの入った法被を羽織り、工事現場などで地鎮祭の代わりなどとして事あるごとにカムイノミ(神に祈る儀礼)をするんです。一緒にいるうちに、「こんな道具を使うのか」と儀礼の道具なども覚えていきました。魚のさばき方から重機の修復までいろんなことを知っていて人気者。「東京アイヌ協会」も立ち上げました。僕は叔父が大好きで尊敬していたので、自分も叔父と同じようにアイヌをルーツに持っていることに、とても肯定感を持つようになりました。
「森羅万象すべてが敬うべきカムイ」
――アイヌ文化の魅力を教えてください。
◆アイヌにとって森羅万象すべてが、敬うべきカムイなんです。自然と共生してきた民族なので、自然を、自分たちが住む世界を大切にする。それがアイヌの務め。アイヌとはアイヌ語で人間のことですから、人間の役割であるとしている。自然を大切にしない人は、人間じゃないということになりますね。
現代社会は競い合って経済発展する一方、自分たちが住む環境を破壊し、地球温暖化の影響で洪水や干ばつなどの被害が増えているとされます。もしアイヌ文化がそのような中で注目を集めているとすれば、現代文明に疲弊したり、現代文明によって追い詰められたりした人たちが、アイヌ文化のような考え方を欲したのかもしれません。
――アイヌ民族を巡っては差別を受けてきたという問題があり、今も生活に困窮する人の割合が多いとされています。
◆アイヌ民族は明治以降、民族独自の文化を禁止や制限されたり、狩猟の場を奪われたり、戦後も就職や結婚などで差別されたりしてきました。それはどれだけ過酷で、どれだけ人間の心の柔らかいものを奪っていったでしょうか。
叔父は、差別されても人の倍働けば差別されなくなる、2年、3年と倍働けばいつの間にか尊敬されるようになると私に言いました。それは間違いではないと思う。でも、体の弱い人や倍働けない人はどうすればいいのか。それは私たちの世代が考えなければならない問題だと感じています。
「ウポポイ」開業、新たな歩み
――政府は2008年にアイヌ民族を「先住民族」と公式に認め、19年には先住民族と法律に初めて明記した上で地域振興を含め総合的に施策を推進するアイヌ施策推進法(アイヌ新法)が成立しました。
◆時間はかかりましたが、私の母や叔父を含め、多くのアイヌの方々があきらめず訴え続けてきたことが実ったのだと思っています。ずっと閉じられていた階段の扉がわずかに開いた。扉の向こうに光が差していて、少しだけその光が差し込んだという思いです。
――アイヌ施策推進法などによって、20年7月にはウポポイも開業しました。
◆施設の名称に「共生」という言葉が入っていますが、相手のことを知らないで仲良くなることはできません。ウポポイには国立アイヌ民族博物館もあり、多くの人にアイヌ文化を知ってもらうためのステップになることは間違いありません。この施設などでアイヌの若者が「自分はアイヌだ」と名乗り、アイデンティティーを持って民族舞踊などに取り組む姿を見て、新たな歩みが始まったのだと感じています。
ただ、先住民族としての先住権の問題も課題としてあります。調整も必要な難しい問題だと思いますが、これからも一歩一歩、互いに理解し合いながら共生の道を歩んでいくことが重要だと思っています。
アイヌ民族
北海道を中心に、樺太(サハリン)や千島列島、東北地方北部で暮らしてきた先住民族。明治時代以後、政府による言語の制限や狩猟の禁止などの同化政策にさらされた。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は2009年、アイヌ語について「消滅の危機にあり、極めて深刻」と指摘している。17年の道の調査によると、アイヌを自認する人は道内で約1万3000人で、06年から4割以上減った。これは調査に協力した数で、道外にもアイヌはいることから実数とは異なる。
宇梶剛士(うかじ・たかし)さん
1962年、東京都生まれ。高校を退学して暴走族に入り、少年院で読んだチャプリンの自伝に感動して俳優を志す。歌手・錦野旦さんや俳優・菅原文太さんの付き人を経て、歌手で俳優の美輪明宏さんに抜てきされ21歳で初舞台を踏む。数々のドラマや映画に出演し、舞台ではアイヌを題材にした作品など作・演出も手掛ける。自身のルーツをテーマにした舞台の記録映画「永遠ノ矢トワノアイ」が2023年2月に東京・下北沢で再上映され、大阪・十三でも上映される予定。
宇梶剛士さん「自然との共生がアイヌの務め」 文化の魅力語る - 毎日新聞
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