手つかずの自然とは何なのか。その難題と向き合うため、世界初の原生自然地域に指定された、ヒラの森を訪れた。
11月の底冷えする夜、体を丸めながらポットの湯が沸くのを待っていた。
その晩、ポンデローサマツの林で野営することになった私たちは、枯れ枝でたき火をおこし、馬のくらの下に敷く毛布に座っていた。
先住民アパッチの血を引くガイドのジョー・セエンスは、かつて祖先がそうであったように、この地域を馬で駆けめぐり、隅々まで知り抜いていた。彼が、ここから程近い場所で殺されたオオカミのことを教えてくれた。ゆっくりと抑揚をつけ、一つ一つの言葉に重みをもたせた彼の語りに呼応するように、突然、暗闇のどこからか遠ぼえが聞こえた。オオカミだ。
これにははっとした。私たちはここ数日、ほとんど音のない世界を旅してきたからだ。この地域に深く入り込むにつれ、森と谷が音という音を吸い込んでしまったかのように、川や風、馬の音と、自分たちの話し声しか聞こえなくなった。馬を進めながら、耳が聞こえなくなったのか、白昼夢を見ているのか、と思ったほどだ。ところが、あの遠ぼえで何かのスイッチが入ったように、突然あらゆる音が聞こえるようになった。たき火がはぜる音、馬が低く鼻を鳴らす音、そして自分の呼吸の音もする。
とっさに顔を上げ、かなたの尾根に視線を走らせたが、見えるのはただ、星の淡い光をバックにした木々のシルエットだけだった。私たちは耳を澄まし、もう一度、遠ぼえが響くのを待った。だが、オオカミは沈黙したままだった。
ジョーが話してくれたのは、こんなエピソードだった。1909年、ある若い森林管理官が当時のニューメキシコ準州の南西端を調査していた。この野営地からそう遠くない岩場で部下たちと昼食をとっていると、谷底に子連れの母オオカミがいることに気づいた。彼らはすぐさま銃を取ってオオカミを撃った。当時、オオカミは家畜のウシや野生のシカなどを殺す害獣と見なされていたのだ。
急いで駆けつけると、母オオカミが息を引きとるところで、「その瞳に揺れるすさまじい緑の炎が消えてゆくのを目の当たりにできた」と、彼は晩年に回想している。「当時の私は若く、獲物を撃ちたくてうずうずしていた。オオカミが減ればシカが増える、オオカミのいない山はハンターの楽園だと思っていた。だが、消えゆく緑の炎を目にしてからは、オオカミも山もそんな考えを認めはしないと思うようになった」
その母オオカミが、私たちがいる野営地、ここ、ヒラ原生自然地域の創設のきっかけとなったと言ってもいい。若い森林管理官の名はアルド・レオポルド。当時の最先端の科学的知見を用いて、政府所有の広大な土地を管理しようとした先進的なレンジャーの一人だった。
オオカミとの出合いなどが契機となり、レオポルドは1922年、新たな保全地域の指定を呼びかける書簡をつづった。それまで政府が管理する土地は2種類しかなかった。一つは国立公園で、レクリエーションに活用され、道路やロッジなどの施設を建設できる。もう一つは国有林で、当局が木材や鉱物、牧草、狩猟の獲物となる鳥獣など、その土地の資源を管理する。レオポルドはそれらに加え、自然のままの状態で保全する地域が必要だと主張した。彼が候補に挙げたのは、広大なヒラ国有林の中央部に広がる3100平方キロの土地で、そこにはヒラ川の源流もある。1924年、米農務省森林局はここを世界初の原生自然地域(ウィルダネス・エリア)に指定した。
ここから先は、「ナショナル ジオグラフィック日本版」の
定期購読者*のみ、ご利用いただけます。
*定期購読者:年間購読、電子版月ぎめ、
日経読者割引サービスをご利用中の方になります。
原生の自然を探して 米国ニューメキシコ州のヒラの森 - ナショナル ジオグラフィック日本版
Read More
No comments:
Post a Comment