私たちは今、人工的な時間を生きている。毎日決まった時間に起き、学校や会社へ行き、同じような時間に帰宅する。それは学校での学習カリキュラムや会社の勤務時間に従っているからで、自然の時間に対する配慮より効率性や生産性が重視されている。でも、生物である人間の心身は、これらの人工的時間に完全に適応しているわけではない。身体の内にも外にも人間以外の生物がいて、私たちの体や心に大きな影響を与えている。たとえば、人間の腸内にいる100兆個を超えるバクテリアは、心身の健康に影響する。季節の移り変わりは動植物の活動を左右し、その働きによって花粉症に悩まされたり、まばゆいばかりの満開の桜に心を動かされたりする。そうした自然の時間の流れに、私たちはいつから距離を置くようになったのだろうか。
それは、人間が自然の時間を止めて文明を作ったからだと私は思う。生物の世界は同じことを繰り返さない。同じようなことが起こるが、時間の経過とともに主体も状況も常に変化している。しかし、260万年前に登場した石器は同じ動作を繰り返させる機能を持っていた。石器を扱う人が目の前にいなくても、それを使う動作を連想させてくれるからだ。その後、様々な道具が作られ、人間は道具を使うことによって均一な行動をとるようになった。道具は変化する時間を止めて、人間の行為を固定したのだ。
さらに、7万~10万年前に言葉が登場したことで時間の流れが一気に変わった。重さがない言葉はどこにでも持ち運べる。遠くにあって見られないものや、過去に起きて体験できなかったことを、言葉によって知ることができる。言葉は「自ら体験する」時間を止めて、物や出来事を抽象化し再現してくれる。言葉のない時代は日々変わりゆく自然に直観的に対処することにより人間は暮らしていた。しかし、その時間を止めて様々な風景を言葉で描くことにより、私たちは世界観を共有することができた。だから、言葉は多くの人々をつないで社会を拡大し、都市文明を築く礎となった。
絵画や彫刻などの芸術も事物の動きを止めて造形し、新たな境界を引いて世界を創造することに貢献した。音楽は世界の動きを音に変えて再現し、そこに目に見えない心の状態を埋め込んで新たなリズムを生み出した。芸術は言葉と共に世界の見方を変える役割を果たしたと言えよう。
だが、人間はさらに時間を操作し始めた。18世紀から19世紀に起こった産業革命は化石燃料を使った新しいエネルギー源を手に入れ、機械の力による生産工程を始動させた。これまで風や水や火、家畜などの自然の力に頼ってきた考えは一変した。都市にいくつも工場が出現し、労働者が密集して、都市は巨大になった。生産性と効率性を高めるために、作業工程は時間によって管理されることになった。機械が時間に沿って正確に動かされると、人間もその時間によって管理され始めた。その結果、あらゆることが時間によって企画され、スケジュールに沿って私たちは暮らすようになった。
情報時代を迎えた今、私たち…
※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
大都市中心の暮らしが招く危機 自然の時間取り戻そう 山極寿一さん:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル
Read More
No comments:
Post a Comment