生涯にわたり郷土の風俗や自然を描いた秋田市出身の版画家勝平得之(1904~71年)は若い頃に出稼ぎをしていた。同市の勝平得之記念館学芸員、加藤隆子さんの著作にある▼家業が紙すきと左官業だった勝平は、冬になると東京や関西のビル建設現場で塗装作業に従事した。経済的事情に加え、家業を継ぐための修業も兼ねて10代の数年間続いた。結局は版画の道に進んだのだが▼勝平の時代や高度経済成長期の集団就職ほどではないにしろ、秋田県では、今も若者の県外流出が続く。進学や就職を機に東京圏へ転出する者が多く、全国最速で人口減少が進む原因となっている▼今月発表された県人口ビジョン改訂案の数字は衝撃的だった。2065年の目標人口は50万8000。人口減対策をしなかった場合より約15万多いが、それでも現在の約半分。目標を下回る可能性もあるだろう。40年以上先とはいえ、末恐ろしい話だ▼若者が出て行く最大の理由は東京圏との賃金格差だという。県は地元企業の経営規模拡大や海外展開の支援などを目指すが、県内定着やUターンを促すには、働きがいや働きやすさも重要な視点だ。人口減に対する県民の危機意識は強い。知恵を出し合い、息の長い工夫と努力で一つ一つ課題を克服していくしかない。(2021・12・28)
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河北春秋(12/28):生涯にわたり郷土の風俗や自然を描いた秋田… - 河北新報オンライン
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