滋賀の秘石~石山寺のお宝
透明感ある薄いブルーのシャープな結晶は、ずっしりと重い。11月の誕生石にも叙せられる宝石「トパーズ」は、大津市南部の田上山では古くから「青玻璃(はり)」と呼ばれて知られていた。明治時代に東京大学に招かれたドイツ人地質学者・ナウマン博士が、調査に入った田上山にごろごろ転がる巨大なブルートパーズを見つけて驚き、本国へ大量に送ったという逸話も残る。いま海外の自然系博物館でも、「Tanakami,JAPAN」のラベルでそのころの立派な標本を見ることができる。
石亭や尊賢僧正も当然、知っていたであろう。大型標本を7点入れた箱の片隅に、このブルートパーズは鎮座して青々と輝いていた。益富寿之助博士の整理から50年以上が経過、現座主の鷲尾龍華師も見たことがないという〝幻のお宝〟を、今回標本調査で確認したときは、無事にあったぞ!と、大いに沸いたのだった。
他の標本箱にもさまざまなものがあった。展示品は益富分類でEⅢと付けられた標本箱で、土殷孽(どいんけつ)(褐鉄鉱)は血止めなどとして使われ、愛知県の高師原で昔から有名だったので「高師小僧」というかわいげのあるニックネームがある。また紫石英(アメシスト)は冷え性に効く薬だった。われわれのご先祖がどうやって病や傷を癒したのか、その一端に触れることができるし、こうした石薬の中には、現代の医薬品と酷似した化学成分を含むものもあるから、決してあなどれない。
一方で収蔵庫にはコレクションとは別にいくつかの石が保管されていた。三角の石の頂上に白い石英がついたもの、ピカピカの石の表面に観音様のような模様が浮かび上がっているものなど―。こうした奇石は冨士石、観音石などと呼ばれて信仰の対象となったか、見立て遊びで飾りにされてきたか、いずれにしても大切に伝わっている。
医薬品として珍重し、信仰の対象とし、飾りとしても楽しむ。西洋科学とは異なった日本的な自然との接し方を、古い標本たちが教えてくれる。(大阪大学総合学術博物館研究員・清風学園常勤顧問 藤浦淳)
【滋賀の秘石~石山寺のお宝】㊥ 日本的な自然との接し方 - 産経ニュース
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