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Thursday, February 2, 2023

屋久島世界自然遺産30年 登録秘話|NHK 鹿児島県のニュース - nhk.or.jp

おととし、奄美大島や徳之島などが登録された世界自然遺産に、国内で初めて登録されたのは同じ鹿児島県内の屋久島です。ことし12月でもう30年となります。
いまや絶大な知名度を誇る世界遺産ですが、屋久島が登録された当時は、意外にも世界遺産への関心は高いものではなかったといいます。なぜ屋久島が国内初の世界遺産となったのか、その秘話に迫りました。
(鹿児島局記者 猪俣康太郎)

【知られていなかった世界遺産】
縄文杉への起点、屋久島の荒川登山口を1月中旬に訪れると、観光客が少ない時期にもかかわらず、暗いうちから出発する人たちの姿が見られました。

(兵庫県からの登山者)
「縄文杉が見たいというのがありまして世界から認められたというか日本の誇りとかそういうものがあると思いますので」。
(東京都からの登山者)
「なんかちょっと神様いそうな、そういうものに触れてみたいなと思いました。昔から一度は来てみたいと思っていました」。

国内初の世界自然遺産登録地として絶大な知名度をほこる屋久島。登録から30年となる今も多くの人をひきつけています。
しかし意外にも、世界遺産登録が話題になり始めた頃、島民の関心は高いものではなく、日本は登録の前提となる条約さえ締結していませんでした。

当時、環境庁から県に出向していた、小野寺浩さんは当時の世界遺産への受け止めについて次のように話します。

(当時環境庁から県に出向 屋久島環境文化財団理事長 小野寺浩さん)
「だいたいそもそも知られていなかったんですよ。世界遺産条約そのものが。屋久島の地元の人もですね。県庁の人も鹿児島の人、広い意味でもみんな、誰も思っていなかったと思いますよ。
それは1つはですね世界遺産がこういう風に人気が出るとはだれも思っていなかったんです」。

【降ってわいた世界遺産登録】
「世界遺産」という話しが初めて出たのは登録の2年前の1991年、当時の土屋知事も参加して行われた懇談会だったといいます。

哲学者の梅原猛さんや作家のC.W.ニコルさん、それにノーベル化学賞受賞の福井謙一さんなどそうそうたる委員がそろう中、ある委員が突然、「屋久島を世界自然遺産に登録すべきだ」と発言したのです。

事務方として懇談会を担当した小野寺さんは当時の心境について次のように話します。

(当時環境庁から県に出向 屋久島環境文化財団理事長 小野寺浩さん)
「委員の1人が世界遺産条約というのがある。屋久島を登録の第1号にしろと言ったんです。ぼう然としましたね。国際条約はやっぱり国の仕事なんですね。県がやるのは筋論としてはちょっとなかなか厳しいなと」

【“ピラミッドが世界遺産だということも知らなかった”】
降って湧いた世界遺産登録を屋久島の人たちはどう見ていたのか。当時、住民の代表として地元の研究会に参加した日下田紀三さんは、次のように話します。

(地元の研究会に参加 写真家 日下田紀三さん)
「万里の長城であれピラミッドであれ世界遺産になっていたことさえ誰も誰も知らない。屋久島でもなんだそれはみたいなという感じでした。うろうろしたというか戸惑い感はあったでしょうね」。

もともと屋久島の基幹産業は林業で、安土桃山時代から特別な建築物にも使われていました。そのため当初は世界遺産になることで規制が強化されるのではないかと、不安に思う住民さえいたといいます。

しかし、当時、島の林業は輸入材の増加によって先行きの見えない状況が続いていました。

そうしたなか懇談会のメンバーが島を訪れて住民と意見交換を行ったり、各集落で住民への説明会などが開かれたことで、世界遺産にかけてみようという声が徐々に広がっていったと言います。

(地元の研究会に参加 写真家 日下田紀三さん)
「むしろ自然を生かしながら将来展望をもたなけれいけないという感じになってきていましたから。世界遺産に期待しましょうやといった気分はありましたね。30年たってみるとむしろ元気な地域に数えてもいい状態になっているんじゃないかと」。

【登録へ阻む壁 突破口はあの哲学者】
一方、世界遺産登録に奔走することになった小野寺さん。条約の締結に向け知事と一緒に外務省などに陳情に行ったものの反応は良くなかったといいます。

(屋久島環境文化財団理事長 小野寺浩さん)
「知事と私が鞄持ちで外務省とかあっちこっち走り回りましたが、手あつい扱いではないですよね。『分かりましたけど、そんなに簡単ではありません』と」。

壁にぶちあたる中、突破口を開いてくれたのは懇談会の委員の1人で哲学者の梅原猛さんでした。

「屋久島は森と海の国としての日本のシンボルになる」と考えた梅原さんが、親交のあった竹下元総理大臣に 働きかけてくれたと言います。NHKのVTRでは懇談会の場で梅原さんがこう語っていた映像が残されていました。

(哲学者 梅原猛さん)
「哲学者としての思弁の結果、日本の文化の根底に縄文文化がある」。

(屋久島環境文化財団理事長 小野寺浩さん)
「条約締結は完全に梅原さんでした。梅原さんは日本を作り直していくときに、日本はやっぱり森の文明ということを大事にすべき国なんだと。そしてシンボルがいると。誰もまだ知らない桁外れのスケールの自然があってインパクトがある屋久島は森の文明で日本の国の世直しをするシンボルとしてはもっとも適当だと話していました」。

【30年の節目にメッセージを】
そして、1993年12月。屋久島は白神山地とともに国内初の世界自然遺産に登録されたのです。
 
環境庁に戻った小野寺さんは局長を務めるなど、その後の「知床」などの世界自然遺産登録に携わってきました。退職した後も屋久島環境文化財団の理事長を務めています。

屋久島の登録から30年となる節目のことし国内のほかの世界自然遺産地域と会議を立ちあげました。互いに連携することで持続可能な社会の実現に向け新たなメッセージを発信したいと考えています。

(屋久島環境文化財団理事長 小野寺浩さん)
「縄文杉に行ってもいいけど、それなりに何か学んで帰る仕組みをどう作るとか、そういうことが実現したかというとまだしていないと思う。自然保護と暮らしをどうやって両立させるか。保護の充実をどうやってより充実したものにしていくのか。それを整理していくと、1つの地域づくりの新しい形ができてきて役に立つのではないかと思っています」。
           

【取材後記】
高校や大学時代に世界遺産登録後の屋久島ブームをテレビで見ていた私にとって、登録当時は世界遺産への関心が高くなかったというのは意外な話でした。

登録から30年となる今、観光客が5月の連休や夏休みの時期に集中することや、登録の恩恵が観光業に偏っているといった指摘も聞かれます。

しかし、その一方で、集落ごとに地元の語り部によるエコツアーが行われるなど、世界遺産に登録されたことは屋久島の住民にとって大きな誇りとなっています。

小野寺さんは「これでようやく世界遺産が自分たちのものになった」という老人のつぶやきが耳に残っていると話していました。

小野寺さんは今後、再来年に開催される、大阪・関西万博で、日本型の自然保護についてメッセージの発信を目指すということです。

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