かつてアダンが茂っていた自然豊かな海岸線は、すっかり護岸堤が張り巡らされ、消波ブロックが並ぶ。家の近くにある河川で小魚が泳ぐ姿をながめることが何よりの楽しみだったという女性は、寂しそうに笑う。「最近はずっと見ていない。開発でシマにできたものも多かったけど同じぐらい消えたものも多いのよ」
島民の生活向上を目的に、復帰翌年の1954年に奄美群島振興開発特別措置法(奄振法)が制定された。道路や空港、河川のほか土地改良などインフラ整備を重点にした公共事業が次々に進められた。予算は1970年代後半には直近の予算より3.5倍の993億円にまで増額。事業はさらに大型化し、「土木振興事業」と揶揄(やゆ)されることもあった。公共事業偏重の国の振興策は生活に豊かさをもたらしたのか。
「島民に(豊かさの)実感はそこまでないのでは」と語るのは、元奄美市議で奄美の自然と平和を守る郡民会議の関誠之さん(71)。ハード整備が進められたものの、医療や教育など住民生活に寄り添ったソフト面の充実にはほど遠いという。
来年度末で期限切れを迎える同法について鹿児島県は延長を求め、国も同意の意向を示している。県が同法の新たな方向性を示す住民などへの総合調査で、島の魅力を問う項目では「豊かな自然に恵まれていること」との意見が最も多かった。開発と対極にある自然保護こそ、島民が求める「奄美の姿」だった。
2021年7月、奄美大島、徳之島、沖縄島北部、西表島がそれぞれ世界自然遺産として登録された。鹿児島県は総合調査報告書に、世界自然遺産登録を機に交流人口の拡大を目指した沖縄との連携強化を盛り込んだ。
元奄美市総務部長で「奄美群島の日本復帰運動を伝承する会」の活動も行う花井恒三さん(76)は、これまでの公共事業の推進に一定の評価をした上で「今までは『本土並み』として本土にばかり目を向けていたが、南を向く時がきたのかもしれない」と強調する。関さんも「そろそろ奄美、沖縄と分けるのではなく、ともに進める議論があってもいいのではないか」と琉球弧の連携を見据えた。
(新垣若菜)
奄振法 豊かな自然「奄美の姿」 「琉球弧で議論を」連携見据え<奄美の今・これから~復帰70年>2 - 琉球新報デジタル
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