台地や丘陵地が長い時間をかけて浸食されてできた谷状の地形を「谷戸」というが、千葉県では「谷津」と呼ばれることが多い。そんな千葉県の谷津が、今でも自然の湿地帯として残されていて大好きな場所がある。それが市川市北東部の長田(ながた)谷津にある大町自然観察園だ。
北総線の大町駅から南に5分ほど歩くと大町自然観察園の入り口に着く。階段を下りたところが長田谷津の谷頭(こくとう)(谷の最上流部)で、その一角に屋根で覆われた地下水の湧き出す場所がある。遊歩道を進むと四つほどの池があり、池にくみ上げられた井戸水を水源にした水路が、両側の斜面林の裾からしみ出ている湧水と合流して湿原の中を下流部へと流れていく。
この細長い谷津全体にさまざまな植物や昆虫、鳥などが生息していて、四季折々の自然を楽しむことができる。遊歩道を歩いていると、東京に隣接したこの市川市内にこれだけの大自然が残されていることに驚かされる。
さらに進むと谷津につくられたバラ園があり、水路はその横を通っている。その先は水生植物園となっている大きな池があり、池から出た水はせせらぎ園へと続く。水路は市川市霊園を暗渠(あんきょ)として通った後、大柏川に流れ込み、やがて真間川へと流れを変えて東京湾に注ぎ込んでいる。
ここで「市川市史自然編-都市化と生きもの-」(市川市史自然編編集委員会編)をもとに、大町自然観察園の歴史を簡単にまとめる。かつて長田谷津は水田耕作が行われていた「谷津田」だったが、やがて休耕田となり、時を同じくして自然を生かした公園の設立構想が持ち上がった。そして市川市が南北約1キロに及ぶ谷津田を買収し、両側の斜面を地主の方の協力で保存して、1973(昭和48)年に大町自然公園が開園した。
84年に市川市は大町自然公園を含む一帯19・3ヘクタールを「大町公園」として新たに都市計画決定。中核施設として動植物園が87年に開園し、大町自然公園は「自然観察園」として位置づけられた。翌88年にバラ園が整備され、93(平成5)年に観賞植物園(温室)が開園し、回遊性が高められた。
この時、バラ園は湿地を掘り上げて池をつくり、その土で隣接する土地を埋め立てて造成したため物議をかもしたという。
地形図で確認すると、自然観察園がある長田谷津は比較的平らな台地に深く刻み込まれた非常に細長い谷津で、その周りの台地上には果樹園の地図記号がたくさんある。そう、この一帯は「市川の梨」の産地。多くの梨畑があり、国道464号の一部に名付けられた大町梨街道には、約50軒もの梨直売所が立ち並び、シーズンには梨を買い求める多くのお客が訪れる。
園内の「湧き水と梨畑」の解説板には、「自然観察園の湿地をうるおす湧き水は、その水源のほとんどを梨畑に頼っています。梨畑に降った雨が土の地面にしみこみ、地下水として蓄えられた後、湧き水となって流れ出すのです。」と書かれている。まさに市川名物の梨の存在が自然観察園の環境を支えているのだ。
大町自然観察園の自然や歴史は、動植物園内にある市川自然博物館(博物館の見学のみなら動植物園の入り口で申し出れば無料)でも展示されているので、遊歩道を巡った帰りに見学してほしい。(千葉スリバチ学会会長・稲垣憲太郎)
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