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Friday, July 15, 2022

「山伏」の世界観から自然との関係問い直す 長野県立歴史館が企画展 - 産経ニュース

大井法華堂の本尊に当たる木造役行者倚像(長野県立歴史館蔵)=原田成樹撮影

長野県佐久市で鎌倉時代から明治の初めまで続いた修験道の拠点「大井法華堂」に伝わる仏像類や古文書を初公開する企画展「山伏-佐久の修験 大井法華堂の世界-」が千曲市の長野県立歴史館で開幕した。修験道は明治に解体され、仏像などは散逸。史料は子孫が代々受け継いできたもので、令和元年に長野県立歴史館に寄贈された。火山など大自然の霊力を畏れ、自らの力に変えた山伏。同館は「自然との向き合い方を問い直すきっかけにしてほしい」としている。

明治に帰農

明治5年の修験宗廃止令によって、山伏は僧侶や神職になることを求められた。現在の佐久市岩村田で鎌倉時代に開かれた大井法華堂は、寺になる選択肢もあったが、帰農を選んだ。

寄贈された史料は、佐久市有形文化財の大井法華堂修験関係文書約800点など計4400点を超える。歴史館の笹本正治特別館長は「長野県は山の国。修験道は山の力を自らのものにしていこうという宗教で、私たちの日常生活に山伏が果たした役割は極めて大きい」とした上で、地域の山伏の活動を知る史料はほとんどなく、寄贈史料の貴重性を強調する。

再現された大井法華堂の護摩堂(長野県立歴史館蔵)=原田成樹撮影

祖師も訪れた浅間山

企画展では、大井家の祖先が呼び寄せたことが法華堂の誕生につながった、時宗開祖で熊野信仰の体現者、一遍上人の立像(複製、国立歴史民俗博物館蔵)が祈りながら入館者を出迎える。大井法華堂の護摩堂も復元され、厨子(ずし)や不動明王像、宇賀神弁財天像、扁額、仏具類が配置され、山伏が多くの信仰を集めていた当時をしのばせる。

修験道の祖師は飛鳥時代に実在した「役小角(えんのおづぬ)(役行者(えんのぎょうじゃ))」で、法華堂で本尊として崇(あが)められていた椅像(椅子に腰かけた像)が公開されている。像は、頭巾をかぶって左手に経巻を持ち、弟子にした2匹の鬼を従えている典型的な姿をしている。

歴史館の村石正行文献史料課長は「佐久に山伏がいたのは火山の浅間山があるから。古来より荒ぶる山は信仰の対象で、役小角も浅間山にいる赤鬼を退治したとされる」と、佐久と修験道との強い結びつきを説明する。

山伏は、修験道の聖地である熊野へ信者らを連れて行くのを主要な宗教活動に位置付けていた。熊野比丘尼(びくに)とよばれる女性が使用した地獄図、熊野観心十界曼荼羅(東横田公民館蔵)や那智山の参詣ルートなどを示している熊野那智参詣図曼荼羅(高圓寺蔵)で修験道の世界観に触れることができる。

展示される大井法華堂寄贈の古文書類=千曲市の長野県立歴史館(原田成樹撮影)

階層状の集金システム

大井法華堂は、当初は狭い地域で活動する山伏の拠点だったが、次第に他の道場から信者の権利を譲られて拡大していった。今回、信者を譲渡された際の権利証文が数多く展示されている。江戸時代には京都の聖護院門跡(天台宗本山派)が大井法華堂を配下に取り込んだが、階層状の集金システムを生々しく伝える。

村石さんによると、山伏は修行により霊力をつけ、呪術師や医者のような存在だったという。首にかける登攀(とうはん)用ロープのような「貝緒(かいのお)」は、命綱としても使うが、山を生命の母と考えたときのへその緒にも通じる。「山と立ち向かうのでなく、自然と一体となって自然の中に戻っていこうという向かい方だったと思う。今回の企画を通じて、自然との向かい方や生命観を問い直すきっかけとしてほしい」と話す。

期間は8月21日まで。観覧料は一般300円など。休館は7月18日を除く月曜と7月19日、8月12日。(原田成樹)

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