日本初の世界自然遺産に、白神山地(青森県・秋田県)と屋久島(鹿児島県)が登録されて2023年で30年になる。「豊かな自然環境を守り、後世へ引き継ぐ」ことを目的に掲げる自然遺産は、環境保全の観点では一定の成果を上げている。一方、遺産エリアへの市民の理解を深め、エコツーリズムなどで「適切に利用する」という面では、遺産地域ごとの実績に差がある。国内第1号・白神山地の歩みを振り返ると、中核となる現地組織の不在、行政の後押し不足、誘客の魅力をどう生み出すか、といった今後への課題が様々に浮かび上がる。30年の節目に、自然遺産とどう向き合ったらいいか、再考すべきではないだろうか。
まず、白神山地の自然遺産登録の前提となったブナ林の価値から説明しよう。ブナは漢字で「木へんに無」と書く。木で無いという不名誉な 烙印 だ。役立たずの木ではないのかといぶかる向きもあるので、森林生態系におけるブナの位置づけを考えたい。
ブナの別名は「森の母」という。主に次のような理由からそう呼ばれる。<1>ブナの実がクマやサルといった野生動物のエサになる<2>昆虫など小さな命が森に暮らすほか、落葉が 堆積 した樹下には多くの微生物も存在し、生物多様性を保つ<3>森が蓄えた水はイワナなど川魚を育み、腐葉土にたまる養分は川を経て海まで運ばれ魚介類の生育にも影響する、などだ。森の母は様々な命を育む役割を担う。そして特に重要とされるのが、<4>ブナの樹下はスポンジ状の地面で保水力があり、土中にも広く根を張って雨水をため込み水源 涵養 林として機能する、という点だ。
<2>の関連では、遺産エリアから採取した酵母がパン作りに適することが研究でわかり、「白神こだま酵母」(秋田県総合食品研究センター)や「弘前大学白神酵母」という名称で商標登録されている。
<4>の保水力に関しては、水害との関連を指摘したい。活発な木材需要にこたえるため、1950年代後半から天然の広葉樹(ブナ、ミズナラなど)を伐採して、建材に使いやすい針葉樹(スギ)を代わりに植林する樹種転換(拡大造林政策)が強力に進められた。ブナ林が切り尽くされて人工林に変わった森では保水力が落ち、大雨が降った時に、かつては経験しなかった鉄砲水に見舞われることが珍しくなくなった。ブナの森は「緑のダム」と呼ばれ、山住みの人々の命をも守っている。白神山地は、道路で寸断されていないブナ林としては国内最大の面積を誇り、手つかずの自然環境は申し分がない。
72年のユネスコ総会で世界遺産条約が採択され、文化遺産ともども自然遺産の登録制度がスタートした。日本では現在5か所の自然遺産が登録されている(表1)。
表1を見るとわかるように、白神山地は他の自然遺産に比べて知名度が低い。屋久島なら縄文杉がすぐに思い浮かぶし、知床であればサケを捕まえるヒグマをイメージするだろう。これに対し、「原生的なブナ林」と言われてもなじみが薄い。
世界自然遺産に詳しい吉田正人筑波大教授は、自著の小見出しで「白神山地の『発見』」という表現を使っている(注1)。単純に面積だけで見ると、国内最大のブナ林は十和田八幡平国立公園にある。後述する青秋林道の反対運動がなければ、白神山地は注目を集めることもなかった。正直どこにあるのかすら知られていない山域のままだった。その意味で白神山地は林道問題によって「発見」されたのだ。
では、遺産登録までの経緯を詳しく見よう。青森・秋田県境に位置する白神山地では、80年代初めから林野庁がブナ林の中心エリアを通す広域基幹林道(いわゆる青秋林道)の建設を始めた。地球環境問題という表現が一般化し、今はあまり耳にしなくなった「自然保護」という言葉が、青秋林道ではキーワードだった。白神に分け入って山の恵みを得てきた地元民や登山愛好家らが「白神山地のブナ原生林を守る会」を作って林道反対運動を展開した。環境保護活動で強い影響力を持つ日本自然保護協会や大学の研究者らも林道建設に疑問を呈した(表2)。
ブナの森では、洪水防止などの目的で、むやみに立木を伐採できないよう保安林制度という保護の網がかかっていた。国有林であっても林道建設に不可欠な保安林の指定解除手続きには、知事の同意が必要になる。87年に青森県の北村正哉知事(当時)が青秋林道計画の見直しを表明したことで流れが変わり、最終的には90年に計画中止が決まった。こうした保護の機運は「白神の豊かな自然環境をそのまま次代へ引き継ぐべき」という考え方につながり、数年の間に自然遺産登録へと一気に進んだ。
青秋林道問題の経緯を見ると、反対する動きが地元民から起こり、自然保護関係者らを巻き込んで大きな市民運動になった。市民側からすれば、ボトムアップのうねりでブナの森を守ったと言えよう。
では林道中止後の自然遺産登録はどうだったのか? そこには環境庁(当時)、林野庁の意向が大きく働いた。自然保護関係者の間で世界遺産登録への機運が醸成されつつあり、地元の知事も世界遺産登録へ前向きであったことから、「国策」という表現は乱暴すぎるかもしれない。ただ、白神山地が全く無名だったことを考えれば、トップダウン的な遺産登録という側面は否定できまい。ブナの森と暮らす地元民に林道反対の思いはあったが、遺産登録までもボトムアップしたようには見えないのだ。
ところで、遺産地域で環境保全だけを徹底するなら、人を入れなければいいのだが、「適切な利用」も望まれる。遺産エリアを次代へ引き継ぐには市民の理解が必要で、エコツーリズムのような形で自然遺産地域の魅力に触れてもらうことも大切だ。
白神山地の30年を振り返る際に注目したいのは、全く無名だったブナの森が「世界に誇る自然環境」として突如クローズアップされたことではないか。そしてこのことは、白神山地を「保全」しつつ「利用」も積極的に推進しなさいと求められた地元に大きな戸惑いを与えた、と筆者は考えている。
世界的な環境保護組織である国際自然保護連合(IUCN)は3年おきに「世界遺産アウトルック」と題して、各遺産の保全状況をチェックし、<1>良好<2>多少の懸念はあるが良好<3>重大な懸念<4>危機的、という4段階に分けて公表している。最新の20年版では、白神山地は最上位の「良好」だった。知床、小笠原、屋久島はいずれも<2>で、白神山地は国内の自然遺産の中で、環境保全が最もしっかりしていると評価された(奄美・沖縄エリアは登録前)。
利用の側面はどうだろう。一つの指標が来訪者数だ。国内の自然遺産では登録後の推移は全体的に減少か横ばいの傾向で、伸び悩みが共通の課題だ。近年の状況を見ると、屋久島は07年度の年間40万人をピークに来島者が減り、13年度からは30万人を下回っている。知床は遺産登録の05年と翌06年に240万人以上が来訪したが、その後に漸減し最近は160万~170万人程度で横ばいだ。小笠原諸島は登録翌年の12年度に来島者数が4万人近くになったが、以降は3万人前後で推移している。
遺産エリアそれぞれの事情があり、単純な比較はできない。ただ、白神山地は多少の増減を含めて減少傾向が顕著で、落ち込み幅は他の自然遺産エリアよりも大きい。青森、秋田両県にまたがるため白神山地全体をカバーする来訪者数の統計がなく、青森県側だけに限るデータだが、白神山地と周縁の観光エリアを合わせた年間来訪者は133万人余りを数えた06年をピークに減り始め、コロナ禍前の19年は58万人余りにまで落ち込んだ。
一方、環境省は04年度から白神山地の登山口に赤外線式センサーを設置し、入山者数の把握を始めた(図)。04年度には8万1000人余りだったが、14年度には2万人を割り込み最少を記録した。しかも16年度からはセンサーが開始当初より2か所増えて13か所になったにもかかわらず入山者は減る傾向が続く。そしてコロナ禍がツーリズム全般に及ぼした深刻な影響から、今後どれほど回復できるのか。手をこまねくだけでは苦境は打開できまい。
実は白神山地の地元では、遺産登録に際し「ブランド観光地化して人が大勢押し寄せるのではないか」とオーバーツーリズムを懸念する声があった。登録から30年。環境保全には成果があったものの、当時の懸念とは逆に利用は停滞している。背景には白神山地特有の地域事情がある。
表1を見ると、奄美・沖縄地域が21年に登録されるまで、白神山地は国内の自然遺産4か所のうち唯一、複数の県にまたがるエリアだった。しかも市町村レベルでは、こちらも奄美・沖縄エリア登録まで最多の4町村(鰺ヶ沢町、深浦町、西目屋村、藤里町)が管轄する区域になっている。
環境省、林野庁のほか、2県4町村というステークホルダー(利害関係者)の多さに加え、隣接自治体や自然保護活動関係者の意向も無視できない。こうなると、何か物事を決めて前進しようとする際、<1>調整に手間取る<2>当事者としての個々の責任感が希薄になる<3>ちぐはぐな見解や場当たり的対応が出かねない、といった問題が容易に想像できる。
ちぐはぐな対応の一例を挙げよう。白神山地の遺産登録エリアは1万6971ヘクタール。このうち、特に厳格に環境保全に尽くすべき「核心地域」は1万139ヘクタールに及び、その周縁に「緩衝地域」(6832ヘクタール)が広がる。ここはひとまとまりのブナ林だが、青森側は届け出をすれば核心地域への入山が可能で、秋田側は実質的に入山が禁止されている。山域はひとつでも、県境があることで登録当時の青森・秋田両営林局は判断が違ったのだ。
経緯を振り返ると、林野庁は伐採から環境保全へと政策転換した90年に、森林生態系保護地域という新しい概念を打ち出し、地域ごとに地元の自然保護関係者らの意見を聞いて保全のあり方を決めた。この際に、青森側は入山禁止は強すぎるとの意見が出され、秋田側では山が荒廃しないように極力入山は遠慮ねがう、という規制重視の声があった。遺産登録後もこれらの考え方は生き続けた。
その後、東北地方全体の自然保護関係者から意見を聞く機会も設けられ、97年に青森側は事前に指定した27ルートに限って許可制で入山を認め、秋田側は限りなく入山禁止に近い管理方式という形での対応が始まった。青森側の入山は03年に許可制から届け出制に緩和されたものの、秋田側では現在も「実質入山禁止」が維持されている。自然保護関係者は国・秋田県に対し入山禁止を見直すべきと提言するなど活動を続けている。
そもそも核心地域には山道すらなく、現地の山域を知り尽くした人間でなければ自由に立ち入ることが難しいエリアだ。従って、一般の人たちの来訪を規制するたぐいの話ではないのだが、入山禁止という表現が私たちに強い印象を与え、「白神全体が『行ってはならない山』と思い込んでいる人に何人も会った」と指摘する自然保護関係者もいる(注2)。
訪れてはいけない山。地元にとっては不本意なイメージが形作られている中で、周縁も含めた白神の山域全体(環白神地域)に来訪者を増やし、ガイドツアーなどのエコツーリズムを活発にするのは長年の懸案だ。この問題を考える時、白神山地では保全に配慮しつつ利用を 牽引 していく中核組織が存在していなかったことに思い当たる。
環境庁は白神山地世界遺産センターを秋田(藤里館)と青森(西目屋館)に設けた。藤里館は白神山地を紹介する展示がメインで、環境学習の場であり、登山情報の発信なども行う。一方の西目屋館は白神山地の調査研究の場として活用する。屋久島や知床でセンターを1か所しか設けなかったことと比べれば、環境庁が当時、白神山地を重要視していたことがうかがえる。ただ、この2拠点化もまた、「白神を保全・利用する中核はどこなのか」をわかりにくくする象徴のように筆者には思える。
環境省が2000年代後半に、エコーツリズムモデル事業を白神で行うなど一定の後押しがあり、また08年のエコツーリズム推進法施行も受けて、環白神エリアでのエコツーリズムの発展機運が醸成され、11年に「環白神エコツーリズム推進協議会」が遺産エリア域内4町村などによって結成された。遅ればせながら白神エコツーリズムに本格的に動き出したといえるが、関係自治体が多すぎたせいか、ここでも牽引役が不在だった。事務局は会員町村で2年ごとの輪番とする方式にしたこともあって、利用推進に結びつく知恵・経験を戦略的に蓄積する体制は築けなかった。これまでガイドマップを作ったり、アンケートを行ったりしてきたが、抜本的な誘客にはつながらなかった。
現状のままで協議会を継続することに疑問の声が出たこともあって、19年に事務局を秋田・藤里町に固定した。また同年からは白神山地のガイドをはじめとした多様な人材を育成するために「白神ミーティング」という外部識者を招いた研修的プログラムを実施して、工夫を始めている。
協議会の佐々木吉昭事務局次長は取材に「他の自然遺産と違い、白神山地には保全・利用の中核となる財団がなかった」と振り返る。屋久島には「屋久島環境文化財団」、知床には「知床財団」がある。いずれも公益性が高い活動を行うと認められた公益財団法人で、両財団とも自然遺産登録以前から設立されており戦略性を感じさせる。
屋久島の財団で特徴的なのは屋久島ファンクラブの名称をつけて個人支援者を組織化していることだ。様々な企業が賛助・寄付に名を連ねるなかで、ファンクラブ会員も800人を超す規模になっている。年間を通じて自然体験セミナーを実施するなどエコツーリズムへの目配りも怠らない。
一方の知床財団は、エゾアカマツを間伐して広葉樹を植え、樹種の多い豊かな森づくりを進めたり、大学研究者と共同でヒグマやエゾシカの生態を解明し、個体数調整の根拠となるデータを集めたりするなど多彩な活動を展開している。また、知床のガイド事業を向上させるため、町公認のガイド制度を有する屋久島で研修も行っている。
屋久島、知床にも、財団とは別にエコツーリズムを推進する組織がある。その推進組織の知恵袋として財団は機能している。
白神エリアでは「白神山地財団」という一般財団法人が青森県弘前市で法人登記されているが、活動は自然体験教室など限定的で、外部からの支援・自主的活動ともに充実している先述の2財団とは比べようもない。
国内5自然遺産のうち、白神山地だけが国立公園に指定されていない。前述のように80年代前半まで全く無名だったからだ。世界自然遺産には「管理計画」があって、環境保全をどのように進めるのかプラン作りが求められている。白神山地管理計画の最新版(13年)には、「遺産地域の適正な利用」という項があり、エコツーリズム推進をうたうものの、全19ページの管理計画のうち1ページにも満たない。わかりやすく言えば、自然遺産の網がかかっているだけでは、「利用は二の次」という扱いだ。これに対し国立公園では制度上、保護と利用両方に目配りした公園計画を策定する。白神以外の国内4自然遺産は、国立公園指定により、利用にも管理と同様に力を入れるべき地域として扱われる。
環境省が現在進める事業に「国立公園満喫プロジェクト」がある。16年に政府がまとめた「明日の日本を支える観光ビジョン」の柱に国立公園が位置づけられた。主にインバウンド需要を取り込むもくろみで、マーケティングや戦略的プロモーション、海外に向けたツアーコンテンツの情報発信などが強化された。コロナ禍で集客は打撃を受けたが、回復をはかるため、阿寒、十和田八幡平など8公園で先行させていた同プロジェクトを、21年度(支出額5億4000万円)から全34国立公園に拡大した。自然遺産に関わる知床、小笠原、屋久島、奄美群島・やんばる・西表石垣の各国立公園も、決して大型予算枠ではないながらも配分を受ける。自然遺産エリアでは白神山地だけが事業財源でハンデを負う。
例えば、リピーターを増やすために環境省が管轄する世界遺産センターの展示内容を更新すべきだと地元が考えても、予算手当てが想定されず実現は見通せない。国立公園エリアなら公園予算の枠も含めて使えるパイは大きくなる。展示をリニューアルする機会も工夫次第で生まれよう。秋田県の世界遺産センター藤里館は登録20年にあたって、館内装飾の一部を交換したが、展示全体の見直しは実現していない。これは 些細 と言えば些細な例だ。ただ他にも、登山道・散策路のちょっとした補修や案内看板の修理など、環境・林野当局が所管する業務範囲で、足腰軽く対応してほしい要望は地元に少なくない。こうした「抜け落ち」が軽んじられてしまうと、「国立公園であればもう少し何とかしてもらえたのではないか」と地元自治体は無力感にとらわれる。ごく小さな課題を丁寧に解決していくことが、白神の価値を結果的に高めるのではないだろうか。
同協議会は正会員である地元自治体の拠出金で運営する。環境省と林野庁はオブザーバーだ。白神山地を域内に持つ自治体は、人口減の時代で財政に余裕などない。こうした事情から協議会では「国立公園並みの支援を」と環境省に陳情を行っている。
白神山地と他の遺産エリアを比べれば、ブランド力の差は歴然だ。ただし、同じ自然遺産なのに国立公園非指定というだけの理由で、国が「あとは地元で何とかして」という丸投げ的・傍観者的対応でいいのか。行政執行に不公平感を生まないためにも、白神山地への支援を国立公園と同等レベルに引き上げる政策判断が、まず最初に必要なのではないか。
白神山地では地元のビジターセンターや観光協会、ガイド協会など様々な団体が、細々とではあっても春から秋の入山期にはエコツアーを開催している。白神山地の魅力が誰の目にもわかる形で示されれば、 閉塞 感の打破も期待できよう。前述の小さな課題の解決だけでなく、白神の魅力作りの方向性をどうするのかという大きな宿題に取り組む必要がある。
吉田教授は「白神山地の世界遺産登録作業の中で 削 ぎ落とされた価値があった」と指摘する。青秋林道の反対運動さなかの85年に秋田市で開かれたブナ・シンポジウムでは、白神山地の価値は「原生的なブナの森」のほかに「ブナ帯文化」でもあるとされた。シンポに登壇した梅原猛氏がその重要性を強調した。ブナ帯文化は、端的に言えば、農耕を主軸とする弥生文化以前から日本列島で繁栄していた広い意味での狩猟採集生活であり縄文文化だ。ブナの森には山菜・キノコなど山の幸が多くあった。地元の人々は木の実を拾い、薪炭を山に求めた。マタギに象徴されるようにクマを捕る暮らしが根付いていた。自然と共生する人々の伝統的なライフスタイルをブナ帯文化と称した。
「人間の営み」と「自然環境」を切り離すことはできず、両者が一体となって初めて、その地域に「遺産価値」があると言える。これは白神山地に限らずどの自然遺産にも共通する点だろう。
白神は山域全体で約13万ヘクタールに及ぶが、政府がユネスコに推薦したのはブナ林の中心部に限定された。これは「原生的な自然」に価値を見いだした判断と言え、山住みの人たちの暮らしに見られる「自然と一体となった文化」には重きを置かなかった。価値は狭められたのだ。
ブナ帯文化が縄文文化の一部であり営々と継承されてきた価値だという点に着目すると、白神山地にも新たな光が当たるのではないか。吉田教授は、21年に世界文化遺産に登録された「北海道、北東北の縄文遺跡群」に言及し、北東北の文化遺産と白神山地の自然一体的な文化の価値を「きちんと掘り起こして(二つの遺産を)上手につなげていくことができれば、現地ツアーはより深いものになっていくのではないか」と語る。
エコツーリズムをどういう方向性で進めるかは、外部識者や他の遺産エリアの熟達者からも知恵を借りながら地元関係者がプランを練り上げていく必要がある。どのようなスタイルをとるにせよ、第三者に白神山地の魅力を的確に伝えることのできるツアーガイドは不可欠ではないか。そして理想を言えば、白神が誇る自然環境に対して知識・経験が豊富であることにとどまらず、ブナ帯文化への深い造詣と愛着をも持つ別格の人材が今後は求められよう。
自然遺産登録から30年の節目に私たちが行うべきは、白神山地への理解をさらに深めてもらえるよう<1>制度、政策、予算措置が整っているか<2>地元の努力は尽くされているか<3>削ぎ落とされた価値に光が当たっているか、を 真摯 に検証し、白神山地を「再発見」することではないか。
自然保護関係者の間には「(自然遺産の)後発組は、先発組の試行錯誤の歴史を、まるで後追いしながら教訓として見ているかのようである」との声もある(注3)。であれば白神山地の関係者には、前述の再発見プロセスをぜひ実践してもらいたい。その取り組みは、他の自然遺産エリアのありようにも今後大きな示唆を与えるだろう。
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世界自然遺産を再考する~白神山地の30年と今後 - 読売新聞オンライン
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